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日産から発売されたダットサントラックの歴史をまとめてみました!

ダットサントラックはかつて日産自動車から発売されていた小型商用車で、現在は日本では販売されていませんが中国やアジア、中東などでは販売が続けられています。そんなダットサントラックの歴史を初代から10代目まで振り返ってみたいと思います。

ダットサントラック 初代10T型(1935年~1943年)

ダットサントラック 初代10T型

ダットサントラックの初代モデルは、1935年に発売が開始されました。さらに1937年には直列4気筒722㏄サイドバルブエンジンを搭載した17型も発売されました。この初代モデルは、1943年まで販売され、通称「ダットラ」と呼ばれたダットサントラックは、日本車の車名としては最も長い歴史を誇ります。

ちなみにダットサントラックの「ダットサン」とは、日産自動車の小型車のブランド名で、日産を代表するブランドとして国産大衆車の代名詞でもあり、特に米国では「Nissan」よりも認知度の高いブランドでした。

ダットサントラック 2代目1121型(1946年~1955年)

ダットサントラック 2代目1121型

1946年に発売された2代目ダットサントラックは、戦前からのボディをそのまま組み立て徐々に荷台を伸ばして対応していましたが、街の商店主からはあまり歓迎されませんでした。1947年には2225型が発売され直列4気筒722㏄サイドバルブ7型エンジンを搭載。1951年に、直列4気筒840㏄サイドバルブD10型エンジンを搭載した、6147型も発売されました。

ダットサントラック 3代目120型(1955年~1957年)

ダットサントラック 3代目120型

1930年代半ばから太平洋戦争を跨ぎ改良を重ねながら生産が続いたダットサントラックは、1955年に3代目の120型でフルモデルチェンジが行われボディーが一新されました。この120型は、日産初の戦後型乗用車110型セダンをベースにしたデザインで、「戦後の日本の貧乏を肯定した無駄がない健康的な優れたデザイン」と評価され、毎日新聞社の毎日工業デザイン賞も受賞しました。

ダットサントラック 4代目220型(1957年~1961年)

ダットサントラック 4代目220型

1957年に登場した4代目ダットサントラックは、120型に比べて各部が強化され、最大積載量が増加しました。1958年には乗用車の210型と220型はロサンゼルスオートショーに出品され北米への輸出が開始されました。

当時の日本車とアメリカ車の性質や品質には大きな隔たりがあったため、走行中の事故によりダットサントラックは「Tin toy」(ブリキのおもちゃ)と揶揄されました。しかし、信頼性の高いエンジンや頑強なフレームや脚回りが功を奏し次第にアメリカでも受け入れられていきます。

ダットサントラック 5代目320型(1961年~1965年)

ダットサントラック 5代目320型

1961年に5代目となる、ダットサントラック320型が発売され、220型からフレームとボディーが一新されました。大ヒット作となった310型系ブルーバードのニュースタイルということを宣伝文句に、扱いやすく快活なエンジン特性と頑強なシャシというブルーバードの美点を受け継ぎました。さらに、乗用車に近づいた居住空間や荷台の拡大により市場で支持を得ることに成功し、1t積トラックのベストセラーとなりました。

ダットサントラック 6代目520型(1965年~1972年)

ダットサントラック 6代目520型

1965年に発売された6代目520型ダットサントラックは、丸型2灯式の前照灯を採用し、エンジンは新開発となる水冷直列OHVの粘り強い1.3Lの「J13型」を搭載。ホイールベースが60㎜延長され、前後トレッドも80㎜拡大し、サスペンションも改良されました。これにより操縦安定性や乗り心地や居住性も向上し、好評を博しました。

また、ダットサントラックは1969年に生産累計100万台を達成しました。

ダットサントラック 7代目620型(1972年~1979年)

ダットサントラック 7代目620型

1972年に発売された620型は、より北米市場を意識したコンセプトで開発され、ショルダー部の「ウイングライン」と名付けられたキャラクターラインを始め、抑揚の強いスタイリングとなりました。従来からの性能や信頼性に加えて、充実した装備やスタイリングも加わったことで、見込み通り北米市場でもヒットし620型は北米におけるダットサンブランドの躍進を担いました。

ダットサントラック 8代目720型(1979年~1985年)

ダットサントラック 8代目720型

1979年に発売された8代目ダットサントラックは、ブランドが日産に変更されたことにより、スタイリングが今までと打って変わって直線基調となりキングキャブの後部が拡大され、ダットサントラックとして初めてエマージェンシーシートが備わりました。室内トリムはブラウンとブルーの2色が用意され、明るく、より乗用車的となりました。

また、1984年に米国日産自動車製造テネシー工場にて生産累計10万台を突破し、さらに国内生産では累計500万台を達成しました。これは日本製商用車として初の快挙でした。

ダットサントラック 9代目D21型(1985年~1997年)

ダットサントラック 9代目D21型

1985年には9代目ダットサントラックが発売されました。キャビンバリエーションは、シングルキャブ、ダブルキャブ、海外向けのキングキャブの3種がラインナップされ、国内の外装は北米仕様と異なり中近東仕様に準じたものでかなり印象の違うモデルとなりました。

また、欧州では「ピックアップ」「ナバラ」の名称で販売、豪州仕様でも「ナバラ」の名称が使用され、タイでも「BIG-M」として生産・販売されました。

ダットサントラック 10代目D22型(1997年~2002年)

ダットサントラック 10代目D22型

1997年の10代目D22型は、ブランド統一の流れで「ニッサン・ブランド」となり、車名は「ダットサントラック」から「ダットサン」になります。また、ビジネスユースは「ダットサントラック」レジャーユースは「ダットサンピックアップ」と名乗るようになりました。

エジプトにてノックダウン生産が開始され、1999年には中国の鄭州日産汽車でもD22型が生産開始。また、D22型をベースとする北米専用SUV「エクステラ」が登場し、2000年にD22型の北米仕様「フロンティア」も発売されました。

このように世界各国でダットサントラックが発売される一方、2002年に日本国内向けの生産は終了となり67年の歴史に幕を下ろしました。これは国内向け商用車としては最も歴史の長い商標でした。

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