2016/02/07
bruklyn
今回紹介する車は、「狂気」とも言われたグループB車の走るラリー時代に活躍したランチア・デルタS4です。「公道を走るF1」の異名を取り、当時のF1マシンにも引けを取らない加速性能を誇ったランチア・デルタS4の性能や歴史、ラリーでの活躍について紹介していきます。
ランチア・デルタS4
今回紹介する、ラリー界の伝説となったマシン
ランチア・デルタS4を紹介する前に、まずはグループBとは何かを紹介します。
WRC(世界ラリー選手権)
世界各国で行われるラリーの世界選手権
グループBとは、自動車競技カテゴリーの一つで、一般の市販車として公認されたベース車両に大幅な改造を施す事が可能な競技カテゴリーでした。
グループBでは、1973年にあったオイルショックの影響から公認のベース車両の生産台数条件を大幅に下げ、多くのマニファクチャラーを募りました。
これにより、1982年から多くのマニファクチャラーが競って競技車を開発し、また追加のレギュレーション「ワークスカーとして参戦する車両となるエボリューションモデル20台をラリーカーとして認める」というレギュレーションに則って多くのモンスターマシンが開発される事になりました。
上記の追加レギュレーションの中でマニファクチャラー達は改造に改造を重ね、ベース車両とはかけ離れたモンスターマシンを次々と生み出していきました。これが、グループBが「狂気の時代」と呼ばれた理由となります。
ランチア・デルタS4
グループB最後期に出現した、当時最強と言われたマシン
今回紹介するこのランチア・デルタS4も、そのモンスターマシンの一台に数えられます。
グループB最後期1985年のラリー世界選手権最終戦に投入され、圧倒的なパフォーマンスで衝撃のデビューを飾ったマシンです。
それでは、そのランチア・デルタS4の性能を紹介します。
まずは、ランチア・デルタS4の沿革について紹介していきます。
ヘンリ・トイヴォネンの駆るランチア・デルタS4
狂気と言われた時代の終盤に登場したマシン。徹底的な軽量化と合理化が図られ、ラリードライバーでさえも手を焼いたほどのマシンに仕上がってしまう。
グループB初期〜中期、ランチアはアウディを始め多くのマニファクチャラーに遅れを取りました。また、中期以降はプジョーが「プジョー・205-16ターボ」というマシンを投入しました。このプジョーのマシンの登場により、ランチアは完全に一線級から退いてしまいました。
しかし、ランチアはグループBのホモロゲーション条件をクリアしたランチア・デルタS4を1985年の最終戦RACラリー(イギリス)で投入しました。最終戦からの登場でありながら、いきなりライバル達に大差をつけ、1-2フィニッシュという衝撃のデビューを果たしました。
では、このランチア・デルタS4がなぜモンスターマシンと言われたのか?
それは、徹底的な勝利への合理化と軽量化にありました。
後ろのカウリングを外したランチア・デルタS4
ロールバーすらも組まれておらず、ほとんど皮を被せただけと言ってもおかしくない車体
モンスターマシンと呼ばれた理由としてはまず、その軽量化された車体と、人間の限界を超えたエンジンスペックにあります。
ランチア・デルタS4の車体のカウリングには、ケブラー樹脂(自転車や飛行機に使う樹脂)とプラスチックを使っており、エンジンはフィアット製の1,759cc直列4気筒DOHCエンジンにスーパーチャージャーとターボチャージャーを搭載したツインチャージャーエンジンを採用し、初登場時は456psを発揮しました。
それでは、このランチア・デルタS4がどのようなスペックを誇っていたのかを紹介していきます。
ランチア・デルタS4
超強力なパワーでドライバーの限界を超えたマシン。スペックも規格外
エンジン:直列4気筒DOHCツインチャージドエンジン
エンジン排気量:1,759cc
全長:3,990mm、全幅:1,880mm、全高:1,360mm
最大出力:456(〜600)ps/8,000rpm
最大トルク:46.0kgm/5,000rpm
車重:890kg
パワーウェイトレシオ:1.95(〜1.48)kg/ps
※1985年のランチア・デルタS4の詳細スペックを記載
※( )内のスペックは1986年後期のランチア・デルタS4の出力を記載
ランチア・デルタS4 ヒルクライム
ここに、ランチア・デルタS4のヒルクライム動画を掲載しておきます。
圧倒的なエンジン出力による加速性能が分かると思います。
ミキ・ビアシオン(イタリア)
ランチア・デルタS4だけでなくデルタでも好成績を残した偉大なドライバー
まずはイタリアのドライバー、ミキ・ビアシオン氏。ランチア・デルタS4を駆ってWRC初優勝を飾るなど、華々しい成績を残しました。
ヘンリ・トイヴォネン(フィンランド)
現在でも伝説のラリードライバーの一人として数えられるドライバー
ランチア・デルタS4と言えば、フィンランドの天才ドライバーのヘンリ・トイヴォネン氏も居ます。「コースにマシンを留めておくだけで精一杯だ」と、グループBマシンの圧倒的すぎるエンジン性能に危険を訴えたドライバーでもあり、悲劇の事故死をしたドライバーでもあります。
いかがだったでしょうか。今回は、狂気と言われた時代のラリーマシンであるランチア・デルタS4について紹介しました。
上記に掲載した動画のように、現在でもランチア・デルタS4は海外で「レジェンドラリー」などのイベントでエキシビション走行などが行われています。
ランチア・デルタS4 ストラダーレ
グループBのホモロゲーション取得のために世界限定200台で生産された
実は、ランチア・デルタS4はホモロゲーションモデルとしてストラダーレという名前を冠した車両が世界限定200台で生産されており、日本国内にも数台が輸入されました。
実際に、値段は「要相談」となっていますが、中古車の情報が国内に1台だけ存在しています。
このホモロゲーションモデルでも、市販車としてはかなりのスペックを誇る車両となっていますが、この記事を読んで興味を持った方は、一度この車の購入を検討してみてはいかがでしょうか?
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局