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ドイツの代表オペル・レコルトを維持するには?維持費を抑える方法は?

1953年から1986年まで生産したドイツの代表的な中型ファミリーカーである「オペル・レコルト」を購入した場合の維持費はどれくらいかかるのか?維持費を出せないから購入できないのか?「オペル・レコルト」の魅力と維持費の内容にせまります!

レコルトの維持費を調べる前に、レコルトってどんな車?

レコルトの維持費について調べる前に、オペルレコルトについて知りたいと思いませか?レコルトの歴史や性能について調べてみました。維持費ってどれくらいかかるのか?維持費を抑えるヒントがみつかるかもしれませんよ。クラシックカーの維持費って何が一番かかるんでしょうか?

レコルトは ドイツの自動車メーカーオペルが1953年から1986年まで生産したドイツの代表的な中型ファミリーカーで、日本にも1970年代前半までは当時の輸入総代理店、東邦モーターズによって多数が輸入されました。この時代の維持費ってどれくらいだったんでしょう?生活にゆとりのある家でないと車、特に外車なんて買えなかったんでしょうね・・・維持費も相当額だったのでしょうね・・・

オリンピアレコルト(1953-1957年)

1953年3月に、第二次世界大戦前の1935年から作られていたオリンピアの後継車として登場しました。このときオペルは初めて1フェンダーが車体から独立していない戦後型スタイルを採用しました。
1953-1954年型:1488cc40馬力。最高速度120km/h。2ドアセダン(リムジーネ)、カブリオレとワゴン(キャラバン)の3種発売。当時のドイツでの販売価格は6,410マルクから6,710マルク。136,028台生産されました。

オリンピアレコルトコンビコーチ(1955年)

オリンピアレコルトのマイナーチェンジ?
リアウインドウの大型化、フロントグリル刷新など小変更

オリンピアと呼ばれる最廉価モデルやデリバリーバン(デリバリーバンは輸入制限の対象外であったため昭和30年代には日本にも輸入された)を追加しました。当時のドイツでの販売価格は5,850から6,710マルク。131,586台を生産されました。

オリンピアレコルト(1957年)

オリンピアレコルトのマイナーチェンジ?
フロントグリル変更(縦線に一本の横バー)、クロームのモールディングを追加

時のドイツでの販売価格は5,510~6,560マルク。169,721台を生産されました。う~ん!実際に見てみたいですね!維持費とかどうでもいいから見て触って乗ってみたい!

オリンピアレコルトPI(1957年7月-1960年7月)

オリンピアレコルトPI(1958年)

車体が大型化され、前後窓が当時のアメリカ車の流行に沿ったラップアラウンドウインドウとなりました。

"Olymat"と呼ばれた自動クラッチも1960年モデルから装備可能となり、ギアボックスがフルシンクロされたのも欧州車では最も早い車です。この時代の車の燃費ってどうだったのでしょうか?維持費について知りたいですね・・・

レコルトPII(1960-1963年)

レコルトPII4ドアサルーン

「オリンピア」が付かない初の「オペル・レコルト」。ホイールベースはそのまま、ボディサイズが更に拡大され、ラップアラウンドウインドウは廃止され、ボディ外板も一新されました。ボディタイプとしては2・4ドアセダン、3ドアのワゴン・バン、ピックアップトラックがありました。

レコルトA(1963-1965年)

レコルトA

ボディは一新され、ホイールベースも2620mmに延長されました。レコルトAのボディタイプも2・4ドアセダン、3ドアのワゴン・バン、ピックアップトラック、そして2ドアクーペとなりました。

エンジンの種類は1500cc50馬力・1700cc60馬力・1700S67馬力でしたが、1964年には後のコモドーレの先行車種とも言うべき、カピテーンの直列6気筒2600cc100馬力エンジンを搭載し、最高速度160km/h以上を出す「レコルトL-6」も追加されました。

当時のドイツでの販売価格は6830-9370マルク。200マルクのオプションで前輪ディスクブレーキ、同じく180マルクで4速フロアシフトが選べました。レコルトAは885,292台が生産されました。

レコルトB(1966-1967年)

レコルトB

車体バリエーションはAと変わらず、当時のドイツでの販売価格は6980-9570マルクと若干値上げされました。95マルクでサーボ付ブレーキが、950マルクでオートマチックが装備可能となりました。296,771台が生産されました。

レコルトC(1967-1971年)

レコルトC

1,276,681台が生産され、最も成功を収めたシリーズです。信頼性が高く、室内は明るく広く、流行のコークボトルラインを取り入れたスタイルが好評でした。

ボディタイプは2・4ドアセダン、3・5ドアワゴン(5ドアは新登場)、2ドアハードトップクーペ、デリバリーバン。

日本でもレコルトCは最も一般に親しまれたオペル車。東邦モーターズの車両提供により宇津井健主演のテレビドラマ、「ザ・ガードマン」に登場し、広く親しまれました。古い画像などを見てみると、かっこいいレコルトが走っていました。この頃の維持費ってどれくらいだったのでしょうか?撮影のためとはいえ、ガンガンぶつけたりして・・・維持費のほとんどは修理費ですかね?維持費の情報がないか調べましたが見つかりませんでした。

レコルトD(1972-1977年)

レコルトD

レコルトDキャラバン

ボディタイプは2・4ドアセダン、3・5ドアワゴン、2ドアクーペ(ピラー付に戻った)があり、豪華バージョンとして「ベルリーナ」が登場しました。

1975年を最後に、親会社GMの方針によりオペルは対米輸出を中止しました(その後はいすゞ・ジェミニが「Opel by Isuzu」として輸出されました)。このため日本向け排気ガス対策を行うベースとなるエンジンがなくなってしまい、レコルトを含むオペル各車の日本への輸出は1976年をもって中止されました。

76年に日本には入ってこなくなったんですね・・・維持費の情報がないわけです。

レコルトE(1977-1986年)

レコルトE1

最後のレコルトであるEは、1977-1982年のE1と1982-1986年のE2に分けられます。オペルの主力車種はより小型のカデット・アスコナになっており、C・D時代のような人気はなかったが9年間かけて140万台以上が生産されました。

英国ボクスホールのヴィクターとの車種統合が行われ、1979年からボクスホール・カールトンとしてフロントエンドを変えて生産されましたが、E2以降はバッジ類以外は全く同じ車となりました。なお、レコルトEのチーフデザイナーは日本人の児玉英雄です。

レコルトE2

E2はオペル輸入を再開した東邦モーターズによって若干数日本にも輸入されましたが、少数輸入枠による輸入で絶対数が少ないため、価格設定がより上級のBMW・5シリーズ並みになってしまい、ほとんど売れなませんでした。
1986年のモデルチェンジに際して、オペル・ボクスホール共通のオメガに改名され、30年以上続いたレコルトの名は消滅しました。

さて、問題の維持費についてですが・・・

レコルトの歴史を追って参りましたが、読んでいただければわかるように、日本にはあまり輸入されていなかった車のようです。

ですから、維持費を語る前に、オーナーさんを探すことができるか・・・?

維持費を調べることもオーナーを捜すことも難しく・・・

一生懸命探したのですが、維持費というより、レコルトのオーナーさんですら見つけることができませんでした。申し訳ありません。

古き時代の車は、維持費が相当かかるだろうと予想されます。特に外車は部品の取り寄せなど当たり前で、何十年も前の車となると取り寄せ自体も難しいでしょう。維持費のほとんどは修理代になるかもしれません。

もしもラッキーなことにレコルトのオーナーになれたら、維持費を抑えるために、どのような工夫をしたらいいのか・・・これは車のオーナーさんだったら普通にかかる維持費、ガソリン代を安くするとか、維持費には大きい自動車税とか安くなるといいですね。

ただ、古い車だと維持費のほとんどが車検代、修理代になるでしょう。でも、レアな車であるオペルレコルトなので、オーナーになるためなら維持費なんて何とかする!ということになりそうですね。

1/43 オペル レコルト D 1975 レッド

維持費を調べていたら、日本になるレコルトの情報は少なく、かわりにミニカーの情報がたくさんありました。維持費がかからないミニカーを集めてみるのもいいかもしれません。

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