ブリオ!ホンダのアジア新興国向け小型乗用車。その性能や価格は?
2015/11/12
tace
レコルト。ご存知でした?あのドイツ車オペルの代表的な中型ファミリーカーです。調べました!!この凄さはオペルならではです。オペル・レコルトの生い立ちからレコルトの性能・価格を、一緒に見て行きませんか?!中古車価格も・・・・!
レコルト(Rekord )は ドイツの自動車メーカーオペルが1953年から1986年まで生産したドイツの代表的な中型ファミリーカーです。
日本にも1970年代前半までは当時の輸入総代理店、東邦モーターズによって多数輸入されましたが、その当時はレコードと英語読みされることが多かったようです。
「ザ・ガードマン」や「ミラーマン」、「太陽にほえろ」でも使われていたようなので、テレビ画面でご覧になった人も多いのではないでしょうか・・・・
国道135号線を走るガードマンのパトカー オペルレコルト
1953年3月に、第二次世界大戦前の1935年から作られていたオリンピアの後継車として登場し、1957年までに58万台が生産されたしゃしゅです。
フェンダーが車体から独立していない戦後型スタイルを、オペルでは初めて採用されました。
1953~1954年型:1488cc40馬力。最高速度120km/h。
2ドアセダン(リムジーネ)、カブリオレとワゴン(キャラバン)の3車種がラインナップされました。
1955年型:リアウインドウの大型化、フロントグリル刷新など小変更。
単にオリンピアと呼ばれる最廉価モデルやデリバリーバンが追加されました。
価格はというと、当時のドイツでの販売価格は5,850~6,710マルク。
全部で131,586台を生産しました。
1956年型:エンジンが45馬力に強化され、再びフロントグリル変更。
価格は、当時のドイツでの販売価格は5,410マルク~6,560マルクへとやや下げられ、144,587台が作られました。
1957年型:フロントグリル変更、クロームのモールディングを追加。
カブリオレは廃止されましたが、当時のドイツでの販売価格は5,510~6,560マルクで169,721台を生産されました。
オリンピアレコルト
コンビコーチ(1955年)
販売価格:5,850~6,710マルク
"Olymat"と呼ばれた自動クラッチが1960年モデルから装備可能となりました。
ギアボックスがフルシンクロされたのも『オリンピアレコルトPI』からで、欧州車では最も早かったようです。
1958-1959年型:1488cc45馬力は従来通り。
2ドアのベーシックモデル「オリンピア」と、上級の「オリンピア・レコルト」とワゴンの「キャラバン」「デリバリーバン」がありました。
車両価格は、当時のドイツでの販売価格は5,785~6,845マルクでしたが、カブリオレは1万マルク以上しました。
1959年型: 1680cc55馬力エンジンが選択可能となり、4ドア版も追加されました。
PIレコルトは307,000台、他に1200が67952台生産されました。
価格は、当時のドイツでの販売価格は6,545~7,110マルクでした。
オリンピアレコルトPI
販売価格:5,785~6,845マルク
「オリンピア」が付かない初の「オペル・レコルト」。
ボディタイプとしては2・4ドアセダン、3ドアのワゴン・バン、ピックアップトラックがありました。
1961年8月には2ドアクーペ、1962年には豪華な「L」バージョン、1700Sエンジンが追加され、4速フロアシフトも選択可能になりました。
価格はと言えば、当時のドイツでの販売価格は6,545~7,770マルクで、787,684台が生産されました。
レコルテPII
販売価格は6,545~7,770マルク
『レコルトA』のボディは一新され、ホイールベースも2620mmに延長されました。
レコルトAのボディタイプも2・4ドアセダン、3ドアのワゴン・バン、ピックアップトラック、そして2ドアクーペとなったいきました。
1964年には後のコモドーレの先行車種とも言うべき、カピテーンの直列6気筒2600cc100馬力エンジンを搭載し、最高速度160km/h以上を出す「レコルトL-6」も追加されました。
『レコルトA』の価格は、当時のドイツでの販売価格は6830~9370マルク。
200マルクのオプションで前輪ディスクブレーキ、同じく180マルクで4速フロアシフトが選べました。
レコルトAは885,292台が生産されました。
レコルテA
販売価格;6830~9370マルク
レコルトBの車体はAのマイナーチェンジに過ぎなかったが、エンジンが新設計のSOHCに一新されました(1492cc60馬力、1698cc75馬力、1897cc90馬力)。
当時のドイツでの販売価格は6980~9570マルクと若干値上げされました。
95マルクでサーボ付ブレーキが、950マルクでオートマチックが装備可能となり、296,771台が生産されました。
レコルトB
販売価格:6980~9570マルク
『レコルト』シリーズ最大の1,276,681台が生産された車種です。
スタイルが好評で、ボディタイプは2・4ドアセダン、3・5ドアワゴン(5ドアは新登場)、2ドアハードトップクーペ、デリバリーバンでした。
当時のドイツでの販売価格は7,630~9,775マルクでした。
日本でもレコルトCは最も一般に親しまれたオペル車でした。
前述したように、東邦モーターズの車両提供により宇津井健主演のテレビドラマ、「ザ・ガードマン」に登場し、広く親しまれました。
レコルトC
販売価格:7,630~9,775マルク
レコルトDは約110万台生産されましたが「D」がディーゼルエンジン車と誤解されやすいためセールスツールではしばしば「レコルトII」と表記されなした。
ガソリンエンジンは1897cc、1698cc、2068ccの3種類で、2068ccディーゼルエンジンも初めて追加されました。
ボディタイプは2・4ドアセダン、3・5ドアワゴン、2ドアクーペとあり、豪華バージョンとして「ベルリーナ」が登場しました。
1975年を最後に、親会社GMの方針によりオペルは対米輸出を中止しました。
その後はいすゞ・ジェミニが「Opel by Isuzu」として輸出されました。
このため日本向け排気ガス対策を行うベースとなるエンジンがなくなってしまい、レコルトを含むオペル各車の日本への輸出は1976年をもって中止されました。
レコルトD
最後のレコルトであるEは、1977~1982年のE1と1982~1986年のE2に分けられます。
この頃『レコルト』は、英国ボクスホールのヴィクターとの車種統合が行われ、1979年からボクスホール・カールトンとしてフロントエンドを変えて生産されましたが、E2以降はバッジ類以外は全く同じ車となりました。
その『レコルトE』のチーフデザイナーは、日本人の児玉英雄でした。
レコルトE1
レコルトE2
1986年のモデルチェンジに際して、オペル・ボクスホール共通のオメガに改名され、30年以上続いた『レコルト』の名は消滅してしまいました。
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