ランボルギーニを中古で購入する方必見!注意するポイントまとめ
2015/09/10
みんとす1001
あまり売れなかったランボルギーニのウラッコ。発表当時は多数の受注があったにもかかわらず、生産数は1000台未満。わずか7年で製造中止となってしまいました。ランボルギーニ・ウラッコの生い立ちから製造中止までの経緯を調べてみました。
ランボルギーニのウラッコはポルシェ・911の市場に狙いを定めて開発されました。
量産できる2+2のスポーツカー、それがランボルギーニのウラッコです。
ランボルギーニ・ウラッコ
ランボルギーニ50周年記念イベント(2012.3.10)にて。
それまではランボルギーニの永遠の宿敵といえばフェラーリでしたが、ポルシェが開拓した2+2クーペの市場に切り込もうとしたのが始まりです。
以前にも400GTやハラマなど2+2は出していましたが、ミッドシップではウラッコが初です。
新型エンジンやオートメーション計画など新しい挑戦の末、1970年に行われたトリノ・オートショーで発表されました。
発表当初は大変評判がよく、多くの受注がありました。
1972年に生産が始まり、1973年にようやく販売開始となりました。
ウラッコとは「小さな牡牛」の意味です。
ランボルギーニの中では小さめの車体と相まって「ベビーランボルギーニ」と呼ばれました。
ランボルギーニ・ウラッコ
「スモール・ランボ」とも呼ばれるそうです。
乗車定員は4名、変速機は5速MTです。
ウラッコは小型ですが、ランボルギーニらしい荒々しい乗り心地がいいそうです。
公道ではそのスピードを楽しむことはできませんが、最高時速はP250で220km/h、P300で265km/hです。
当時の価格で700~800万円だそうです。
エンジンはランボルギーニ初のV型8気筒を採用。
クランク軸上にギアボックスを配置し、間にディファレンシャルを挟んだジアコーサ方式です。
+2座を確保するためにエンジンは横置きとなりました。
ランボルギーニ・ウラッコ エンジン部
ウラッコに搭載されたV8エンジンです。
しかし、当時は新型のV8エンジンは信頼性が低く、ウラッコの販売数はあまり伸びませんでした。
クランクシャフトとドライブベルトの破損は深刻な問題となり、最低でもシリンダーヘッドへのダメージ、最悪の場合はエンジンそのものが破壊されてしまいました。
次に、デザインを見ていきましょう。
ウラッコのエンジンは横置きのため、+2座を確保しつつもホイールベースを短く収めることができました。
全長約4.2メートルと、ランボルギーニの中ではすこし小さめです。
ランボルギーニ・ウラッコ P250S
2+2がウラッコの特徴でもあります。
後ろにも座席があるのがわかるでしょうか。
デザインは多くの自動車をデザインしたマルチェロ・ガンディーニ氏が担当しました。
すらっとしたプロポーションが美しいです。
ランボルギーニ・ウラッコ背面
こちらもP250S。
発色の良い黄色がスポーツカーらしくていいですね。
ランボルギーニ・ウラッコ内装
横長のインパネにメーター類が一直線に並び、タコメータ、スピードメータが両端にあるのがおもしろいです。
ランボルギーニ・ウラッコ ラリー
レーシング仕様のウラッコです。
鮮やかなオレンジでかっこいい!
ポルシェ・911の対抗馬として作られたため、ランボルギーニ・ウラッコの基本概念は以下の3つ。
・2+2のミッドシップ
・911と同程度の価格に抑える
・年間2000台製造
ランボルギーニ・ウラッコ
評価も人によってさまざまです。
ランボルギーニはウラッコの生産を最新のコンピューターテクノロジーによりオートメーション化する計画でした。
しかし、これには莫大な初期投資が必要で、トラクター部門も不況であったため、頓挫してしまいました。
さらには生産にも莫大なコストが掛かることになり、911と同程度に抑える予定でありましたが、販売価格を上げざるをえなくなりました。
1972年に生産開始、翌年販売にこぎつけるも、前述のとおり故障が頻発。
1974年にアメリカでの販売も開始しますが、注文は少なかったそうです。
結局すべてのバリエーションを合わせても791台しか生産されず、ランボルギーニは1979年にウラッコを製造中止としました。
ランボルギーニ・ウラッコ
広島市交通科学館企画「カウンタック展」にて。
後に、ランボルギーニはウラッコをベースにシルエットを販売、さらにジャルパへと受け継がれました。
イタリア国内主流のP250の生産数は250台、北米向けのP111はわずか21台。
今となっては希少な車種です。
他と比べると知名度も評価も低いですが、愛用している方もいます。
これからも大事に乗ってほしいものです。
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