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【フィアット500】ルパンも愛したイタリアの誇る名車

イタリアの車メーカーであるフィアットが製造・販売するフィアット500。日本ではルパン三世の愛車として有名ですが、実際のフィアット500はどんな車なのでしょうか。ただ可愛らしいだけではないフィアットの魅力をまとめてみました。

初代 トポリーノ

初代車両は1936年に発表された2人乗りの小型車で、1955年に製造されました。愛嬌のあるボディー、小さなエンジンで機敏に走る様などからこの車は「トポリーノ(イタリア語でハツカネズミ)」という愛称で呼ばれており、イタリアだけでなくフランスでも多くの人々に広く愛されていました。発表当時としては非常に高度なメカニズムを多く取り入れており、戦前・戦後を通じて大きな商業的成功を収めたモデルで、系列車は総計約60万台が生産されました。

フィアット バリッラ

フィアット バリッラ

1930年代中期、フィアット社では1932年に発表した1000cc級の小型車・508「バリッラ」の販売が好調な状態であったが、当時のフィアット総帥であるジョヴァンニ・アニェッリは、大衆向け自動車市場のさらなる開拓を目論み、バリッラよりも小型の乗用車を市場に送り出すことを企画した。開発に当たったのは元航空機技術者のアントニオ・フェッシアを中心とするチームで、この中に後のフィアット主任技術者として数々の傑作車を開発することになるダンテ・ジアコーサがいた。フィアットは、すでにバリッラでアメリカのクライスラーの流儀に倣った4輪油圧ブレーキと鋼製ボディを採用していた。また1935年に発売された6気筒エンジンの中級車“フィアット1500”では、当時としては前衛的な空力流線型スタイルの効果で、1クラス上の旧型2L車を凌ぐ性能を確保することに成功、さらに同車で前輪独立懸架も採用していた。それらの先行成果は、新しいミニマムカーに惜しげなく応用された。

初代フィアット500

初代フィアット500

こうして開発された初代500は、当初5,000リラという激安価格での販売が計画されていたが、高度なメカニズムを詰め込んだ結果、製造コストが想定以上にかかり、実際の販売価格は8,900リラにまで跳ね上がってしまった。それでも従来の自動車に比べれば大幅に廉価であったことから、イタリアの大衆からは歓迎され、派生型の商用モデルの展開も手伝って、当時の「国民車」として大成功を収めた。戦時中の生産中断はあったものの後継車種の500Bにマイナーチェンジされる1948年の生産終了までに約12万2千台が生産された。570㏄程度で13~15の水冷4気筒の小型エンジンを搭載、  また、特筆すべき特徴として「ドアが今の車と逆に開く点」や「2人乗りであるにもかかわらず無理やりそれ以上搭載する(例としてはローマの休日にそのシーンがある)」などがあげられる。  生産台数は前期型が約12万2千台であった。派生型としては近代化デザインチェンジした500B、ワゴンタイプで4人乗りにした500Cなどが存在する。また、社外のボディでワゴンにするものが存在する。

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