2016/04/11
mana--bee
日本を代表する車と言っても過言ではない日産自動車のスカイラインですが、そのフロントグリルに掲げられているエンブレムは現在に至るまでいくつかの種類がありました。今回は、歴代のスカイラインとそのエンブレムについて見ていきましょう!
芳ヶ平
群馬県草津市の芳ヶ平で、「スカイライン」という名を思いついたそうです。
スカイラインは、1957年からプリンス自動車工業(富士精密工業)が製造・販売し、1966年の日産自動車との合併後は日産自動車が製造・販売している車種のことです。
その名前は「山並みと青空を区切る稜線」に由来し、長きにわたってスカイラインの設計統括を行った桜井眞一郎氏によって名づけられました。
今上天皇の、皇太子の時の愛車として広く知られています。
初代スカイラインに付けられていたのは、PRINCEのエンブレムでした。
第2回の日本グランプリでポルシェを抜き去り、「羊の皮を着た狼」の称号を得ました。
「PRINCE」のPをモチーフにしたエンブレムになっています。
プリンス自動車工業は、1966年に日産自動車と吸収合併し、スカイラインなどの車種は日産に引き継がれました。
C10型は、「愛のスカイライン」「箱スカ」とも呼ばれました。1966年にプリンス自動車工業と日産自動車が合併したことで、1968年に発表されたこのスカイラインは、Nをモチーフにしたエンブレムとなっています。
C110型は、「ケンとメリーのスカイライン」を略して「ケンメリ」の愛称で親しまれました。C110型の累計販売台数67万台という記録は、歴代のスカイラインの中でも最高の数字となっているほどのベストセラーでした。
Sをモチーフにしたエンブレムがつけられたスカイラインで、この代以降のスカイラインにはSをモチーフにしたエンブレムがつけられています。
「箱スカ」のコンセプトにもう一度立ち返り、「SKYLINE JAPAN」のキャッチコピーで販売されました。
アメリカの俳優であるポール・ニューマンを広告に起用し、「ニューマン・スカイライン」と呼ばれました。
「都市工学スカイライン」の通称を持ち、「からだの延長としての存在」を目指して開発されたスカイラインでした。
R32型の運動性能を重視したスポーティーなコンセプトから「超感覚スカイライン」と呼ばれました。
R33型は、R32型からボディーが大型化され、「卓越した走りの本流グランドツーリングカー」のコンセプトの元に開発されました。
通算10代目となるスカイラインは、ドライビングボディと呼ばれる剛性の高いボディを持っていました。
V35・V36型のスカイラインのエンブレムには、S型のエンブレムではなく、日産自動車のエンブレムがそのまま使われています。
この型式の”V”は、スカイラインが搭載していたVQエンジンというV型エンジンの型式に由来するものです。
プリンス自動車工業と日産自動車が合併した後のスカイラインのエンブレムは、「SKYLINE」のSをモチーフにしたエンブレムが多かったですね。
次は、2016年現行のスカイラインについて見てみましょう。
2013年に、日産自動車が日本国外で展開する高級車ブランドであるインフィニティのQ50として発表された車種が、日本では13代目V37型スカイラインとして発表されました。
そのためV37型スカイラインは、従来のS型のエンブレムや日産エンブレムではなく、インフィニティのエンブレムを付けています。
ちなみにインフィニティのエンブレムは、「無限の彼方へと向かう開けた道と富士山」を表しているそうです。
ここまで、13代にわたる歴代スカイラインとそのエンブレムについて見てきましたが、いかがでしたでしょうか?
いつの時代でも、スカイラインは憧れの的であったようですね。
スカイラインは、生産する会社が変わるなどの数奇な運命を辿り、継続生産されている国産車の中でも歴史の長い車種の1つですが、今後のスカイラインがどのようになっていくのかとても楽しみですね!
ご覧いただいてありがとうございました!
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