スカイラインのクーペモデル、スカイラインクーペの魅力に迫る!
2016/03/10
kktto
日本を代表するグランドツーリングカーに、ニッサン・スカイラインがある。とりわけ4代目、いわゆる「ケンメリ」スカイラインは、クルマ好きの間でも人気の高いモデルだ。この「ケンメリ」スカイライン、一体どのようなクルマなのだろうか?
「ケンメリ」スカイラインの話題に触れる前に、まずはそれまでのスカイラインがどんなクルマであったか見ていこう。
1957年、プリンス自動車工業にて初代スカイラインは誕生する。クラス最高の60PS4気筒エンジン、最高速度125km/hを誇った。サスペンションにはバネ下重量軽減を狙い、ド・ディオンアクスル方式を採用する意欲作であった。
1963年、2代目スカイライン誕生。翌1964に行われた第2回日本グランプリに出場した生沢徹が駆るスカイラインGTは、式場壮吉がドライブしたポルシェ904を一瞬だが確かに抜き去った。ここから、現在まで語り継がれる「スカイライン伝説」は始まった。
3代目となるスカイラインは、1968年にデビューを果たす。「愛のスカイライン」というキャッチフレーズは、この頃から始まり、この流れは「ケンメリ」スカイラインへと続いていく。レーシングイメージが強いのも、このクルマの特色であった。なお、現代まで続く「GT-R」を生み出したのもこの代からである。
そのボクシーなフォルムから、いつしか「ハコスカ」と呼ばれるようになっていた3代目登場から4年後の1972年、4代目スカイラインはデビューする。この4代目スカイラインは、先代のフォルムとは打って変わってマッシブなアメリカンスタイルへと変貌を遂げる。
テレビCMも「ケン」と「メリー」という若い男女が日本中を旅していく、というコンセプトのものになった。CMソング「ケンとメリー 愛と風のように」もロングヒットを飛ばした。ここから、この代のスカイラインは「ケンメリ」と呼ばれるようになるのである。
「ケンメリ」スカイラインは先代の「ハコスカ」と比べ、ラインナップが充実していた。4ドアセダン、2ドアハードトップ、ワゴン、バンとボディタイプだけでも4種類を備えていたのである。このバリエーションの多さが「ケンメリ」スカイラインの最大の魅力である。
また「ケンメリ」スカイラインでは、先代よりもボディサイズを拡大。走行安定性がぐっと高まった。その分重量はかさんだが、GT性能という面で「ケンメリ」スカイラインは、日本のグランドツーリングカーを代表する車種となったのである。
そして「ケンメリ」スカイラインと言って、忘れてはならないのが「丸テール」であろう。この「ケンメリ」スカイラインから採用された丸型のテールランプは、代々受け継がれるスカイラインのアイデンティティとなった。さらに「ケンメリ」スカイラインでは、サイドのボディラインがより特徴的なものになった。これが「サーフィンライン」である。
ちなみに、4ドア「ケンメリ」スカイラインの別称は「ヨンメリ」である。
「ケンメリ」スカイラインが生まれた時代。それはまさに「オイルショック」の真っ只中にあった。また、アメリカでは「マスキー法」と呼ばれる厳しい排出ガス規制法が施行。このダブルパンチは、自動車業界全体に暗い影を落とした。
もちろん「ケンメリ」スカイラインも、その対策に追われることになる。その技術として「NAPS」が挙げられる。これは「Nissan Anti Pollution System」の略で、昭和50年、51年、そして初期の昭和53年自動車排出ガス規制適合車に使用された、日産の排ガス規制対策の総称である。この技術は「ケンメリ」スカイラインを生き長らえらせることには成功したが、全体的にパワーダウンしてしまうため「ケンメリ」スカイラインの美点ともいえるGT性能をスポイルさせてしまった。
もうひとつ「ケンメリ」スカイラインで悲運といえるのは、やはり「GT-R」の生産終了であろう。この「ケンメリ」GT-Rまでが、現代では「第一世代」GT-Rと呼ばれている。ここから「第二世代」GT-Rの登場までには、およそ16年もの歳月を要している。
「ケンメリ」GT-Rは、通常の「ケンメリ」スカイライン・ハードトップ2000GTをベースに、専用ラジエーターグリル、前後オーバーフェンダー、リアスポイラーを装備。S20エンジンは先代「ハコスカ」GT-Rより継続採用。スペックもそのままである。
2台が試作され、195台しか販売されなかった「ケンメリ」GT-R。排ガス規制の波に飲まれ、消えていった悲劇の「ケンメリ」スカイラインと言えよう。
そんな荒波の中生きた「ケンメリ」スカイラインではあるが、販売台数を見ると歴代のスカイラインの中で最もヒットしたモデルなのである。それはまさに「ケンメリ」スカイラインのモデルラインナップの充実ぶりと、何より「ケンメリ」スカイラインの基本性能の高さゆえの結果であろう。
ここで「ケンメリ」スカイラインの兄弟車ともいえるモデルを紹介しておこう。2代目ローレルである。
この2代目ローレルは1972年に発売され、主にプラットフォームが「ケンメリ」スカイラインと共通化されている。このローレルは開発自体は日産で行われたが、初代は旧プリンス系のエンジンを採用するなど、プリンスとの関わりがなにかと深いクルマであった。そして2代目は、先述したとおり「ケンメリ」スカイラインとのシャシー共有化。まさにローレルと「ケンメリ」スカイラインは「血を分けた兄弟」なのである。
「ケンメリ」スカイライン。それはまさに、今のスカイラインの伝統を形作ったものであると同時に、大らかさを追い求め続けた当時の日本人の憧れの象徴とも言えるクルマである。だからこそ「ケンメリ」スカイラインは爆発的なヒットを記録し、人々の記憶にも刻まれているのだろう。
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