2016/04/13
kenpti
1966年に登場したランボルギーニ・ミウラ。この車のセンセーショナルな登場は、その後のスーパーカーの流れを大きく変えました。豪華な内装もその一つです。ランボルギーニ・ミウラの内装の変遷を通し、この車の歴史を紐解いてみたいと思います。
ランボルギーニ・ミウラは1966年にデビューしましたが、じつが前年の1965年にシャーシのみの状態で発表されています。これはこの車の構造そのものが「公道を走る車」としては画期的であることをアピールするためにほかなりません。
トラクターの製造販売やエアコンなどの事業で大成功を収めたフェルッチオ・ランボルギーニがフェラーリに対抗すべく1963年に興したランボルギーニによって1966年3月ジュネーヴ・モーターショーにて発表され、1966年から1973年までに約750台[2]が生産された。
エンジン 3.9L V型12気筒
最高出力 350HP/5,100rpm(P400)
370HP/7,700rpm(P400S)
385HP/7,850rpm(P400SV)
最大トルク 37.5kg·m/5,100rpm(P400)
39.0kg·m/5,500rpm(P400S)
40.7kg·m/5,750rpm(P400SV)
変速機 5速MT
駆動方式 MR
全長 4,360mm
全幅 1,780mm
全高 1,080mm(P400・P400S)
1,050mm(P400SV)
ホイールベース 2,500mm(P400・P400S)
2,504mm(P400SV)
車両重量 980kg(P400)
1,040kg(P400S)
1,245kg(P400SV)
1965年のトリノ・オートショー(11月)で発表され、期待のかかった4L V12をミッドに載せたベアシャーシTP400に1966年3月のジュネーブショーでボディを架装し発表されるや、当時ベルトーネに就任したばかりのマルチェロ・ガンディーニによるその流麗なスタイリングが注目の的となり100を越すオーダーが殺到した。
TP400
このミウラを設計した、当時24歳のジャンパオロ・ダラーラは「レーシングカー」を作る夢をもっていました。ミウラのミッドシップ横置き搭載のエンジンや、スペースフレームを使ったモノコックボディは、まさに当時のレーシングカーの新しいトレンドだったのです。そしてル・マンなどでフェラーリのライバルであったフォードのGT40を参考にこのミウラは製作されたのです。
しかし、社長のフェルッチオ・ランボルギーニは自動車レースにまったく参入する気がなかったのです。彼はフェラーリーのようにレース活動をメインとした経営をするつもりはなく、むしろポルシェのように高級GTカーを市場に何万台も送り出す事業展開をめざしていました。たとえばこんな4人乗りのスーパーカーとか・・・
ランボルギーニ エスパーダ
4人乗り・豪華装備のVIP仕様でありながら、最高速度250kmを目指したスポーツカー。
トラクターの製造販売で財を成したフェルッチオは、当時のイタリア成金の例に漏れずフェラーリを購入。そのフェラーリが故障した際に、送られてきたパーツがランボルギーニトラットリーチ社で使っていた部品と同じ上に(クラッチだといわれている)、10倍の値段が付いていたことに激怒。フェラーリに乗り込み苦情を言ったが、成金のたわ言と鼻であしらわれ、自身で自動車の製造販売に乗り出すことを決意したのだ。
ランボルギーニトラットリーチ社は元々トラクターを作っていた会社です。フェラーリーはトラクターのクラッチを自社製のスポーツカーに使っていたということです・・・
俗説ではありますが・・・
しかしフェルッチオ・ランボルギーニはダラーラの夢を完全につぶすことはしなかったようです。ランボルギーニ社の宣伝効果を狙って、レース用ではなく公道を走るスーパーカーとして、ミウラは誕生することになりました。
ダラーラは本当はレース活動ができると考えてランボルギーニ社に入社したらしいのですが、何を勘違いしちゃったのでしょうね?
フェルッチオ・ランボルギーニはもともと、フェラーリを乗り回していたお金持ちだったのですが、フェラーリの乗りごごちの悪さや、故障の多さに閉口して、「もっと日常的に使えるスポーツカーを作ろう」と、もともとトラクターやエアコンを作っていたランボルギーニ社でスーパーカー事業を立ち上げたのです。しかしミウラはそういうコンセプトとは違って「公道を走るレーシングカー」に近かったものですから、いろいろ問題が起きました。
1967年から生産体制を一応は整えたが、その時点ではまだリアヘビーによるハンドリングの欠点、パワートレーン系が出す盛大なノイズ、冷却性能、などいくつもの問題が解決しておらず、たくさんのバックオーダーを抱えたランボルギーニはしかたなく生産を続けながら改良を加え、最終的にはリアサスペンションほかに大きな改良がされたSVと呼ばれるモデルが製造された。
ミウラは生産開始したものの、様々な問題を一台一台改良しながら作っていたので、詳細な部分は一台ごとに違いがあるとのことです。
P400
P400S
P400SV
Zn 75(スパイダーモデル)
"Zn 75"はたった一台だけ生産されたタルガトップ風コンバージョンモデルである。タルガ風だがルーフやサイドウィンドウはまったくない。"ILZRO(イルズロー) Zn 75"または"ILZRO(イルズロー) スパイダー(SpyderもしくはSpider)"とよばれることが多い。
P400の内装
P400とSVの内装の比較。このアングルだとほとんど同じですね。
P400にはエアコンがついてなかったため、エンジンからの熱もあってすごく暑かったので、S、SVはオプションでエアコンがつけられるようになりましたが、あまり効かなかったそうです。
P400SVの内装
SVの内装の一番の特徴はパワーウィンドーが標準装備されたほか、インテリア全体にラグジュアリー感が増した。
ミウラの内装の違いその1:ヘッドコンソール
ミウラの内装で一番目立つ変更点はここ。
ミウラP400は、ヘッドコンソールが小さいですが・・・
ミウラP400SとSVの内装
S、SVは大きなヘッドコンソールが装着され、内装の中で最も目立つポイントです。
ミウラの内装の違いその2:P400のヘッドレスト
ヘッドレストの形状: ミウラP400とS、SVの内装で目立つ変更点
P400の内装にあるヘッドレストは食パンの断面のようで広いですが・・・
ミウラP400S・SVのヘッドレスト
ミウラS・SVのヘッドレストは枕状で小さくなっています。これも内装の違いの特徴です。
ミウラのヘッドレストはシートではなく、シート後のパネルに固定されています。シートの移動はほとんどできなかったのです。
ミウラの内装をみると、様々なカラーのシートがあるのがわかります。おそらくレストア時に内装と一緒にシートの張替えをやっているからでしょう。内装もシートも破れたりヘタリが出たりしますから。この世に登場して50年も経っている車ですからね。
ミウラのレーシングバージョンの「イオタ」の内装
レーシングバージョンだけあって内装をみると、シートベルトが4点式です。
それ以外はミウラと同じ内装ですね。
ランボルギーニ・イオタ
オリジナルのイオタはたった一台しかなく、それも事故で失われています。この写真のはSVを改造したいわばイオタの「レプリカ」です。それでも希少なので、3億円もします。
レストアされたミウラの内装の例1
アルミむき出しのままです。
レストアされたミウラの内装の例2
これはP400だと思われます。
レストアされたミウラの内装の例3
なんとシートがモケット地になっています。珍しい内装です。
ランボルギーニ・ミウラの内装をみて驚くのは、シートとエンジンルームが隔壁一枚で遮られていたということ。さぞかしうるさい上に、暑かったであろうと思います。
さらに本革で作られた内装は本来オプションだったそうですが、私が見たミウラの写真はみんな本革のようです。
ランボルギーニー・ミウラはスーパーカーの歴史の中でも、ターニングポイントとなる存在です。たしかにミッドシップのスポーツカーはミウラ登場以前にすでに存在していましたが、V12エンジンやギアボックスのレイアウト、豪華な内装、セクシーなボディライン・・・どれをとってもそれまでの公道を走ることのできるスポーツカーにはないものでした。ミウラに刺激されたのかライバルのフェラーリーなどもこの後、ミドシップのV12エンジンを搭載したスーパーカーを投入しています。そしてこのミウラの後を継いだ、カウンタック(クンタッチと発音するのが正しい)というミッドシップエンジン・スーパーカーの決定版が登場します。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局