記事ID9298のサムネイル画像

FabbricaItalianaAutomobiliTorino「イタリア・トリノの自動車工場」

フィアットをご存知でした?「イタリア・トリノの自動車工場」を意味するイタリア最大の企業グループがフィアットです。自動車、鉄道、船舶、航空機、出版、金融等にも進出している企業ですが、主に自動車について調べました。その価格や中古価格まで、一緒に見て行きませんか?

『フィアット』ってなに・・・・?!

フィアット(伊: FIAT S.p.A.)は、イタリア・トリノを拠点とする同国最大の企業グループです。
現在は、持株会社であるフィアット・クライスラー(英: Fiat Chrysler Automobiles)の一部門を構成しています。

Fiat 3 1/2 HP

『フィアット』の事業内容

『フィアット』の業種は、自動車製造、エンジン製造を始めとする製造業、農業、金融と多岐に及んでいて、各種製造業の多くがフィアットグループに属しています。
なお、トラック 、バス、建設機械、農業機械などの事業は2011年に分社化され、フィアット・インダストリアルとなっています。
その代表的な部門を紹介します。

航空機部門

かつてフィアットは航空機メーカーとしても名を馳せていました。
特に軍用機の発注が数多くあったようです。

第一次世界大戦後、フィアットは小規模な航空機メーカーを吸収し、1930年代にはフィアット CR.32やフィアット CR.42といった有名な複葉戦闘機を世に送り出していました。

Fiat CR 32

第二次世界大戦では、ダイムラー・ベンツ製のエンジンを搭載した戦闘機フィアット G.55、優れたデザインの爆撃機フィアット BR.20などをイタリア空軍に提供し、その上イタリア軍向けにフィアット レベリM1935重機関銃など機関銃も製造していました。

Fiat Br.20 "Cicogna"

1950年代、NATO加盟国で共通の軽戦闘爆撃機を装備する計画が持ち上がり、フィアット G.91が設計されました。
その後、航空機開発部門はトリノを本拠とした航空宇宙会社の一つであるアエリタリアを設立するためにアエルフェールと合併しました。
G.91の生産もアエリタリアが引き継いだため、アエリタリア G.91と呼ばれています。

トラクター部門

フィアットは、トラクターメーカーとしても知られていました。
1919年、最初のトラクター702型の発売を皮切りに、フィアットは農業機械部門に進出し、1971年にランボルギーニグループから、ランボルギーニ・トラットリーチ社(農業機械部門)の全株式を取得しました。

1984年には農業機械部門をフィアットアグリとして分社化、1988年には建設機械部門も統合しフィアットジオテックと改称し、買収や改称を重ねて1999年にはCNHグローバルと改称されました。

日本ではかつてクボタがフィアットブランドのトラクターを輸入していたが、現在は傘下のニューホランド、ケースIHのトラクターが日本ニューホランドおよび三菱農機によって輸入されています。

モータースポーツ部門

FIAが主催する世界各国で行われるラリーの世界選手権である世界ラリー選手権(WRC)に、フィアットは早くから参戦しており、1970年代はグループ4マシンの「124アバルトラリー」、「131アバルトラリー」で活躍をしました。
特に131アバルトラリーはマニファクチャラーズ部門を3度、ドライバー部門を2度制覇しWRCで最も活躍したFR車となったのです。

フィアット・アバルト131

1980年代からはグループ会社のランチアのグループB及びグループA車両で参戦して好成績を残し、特に1987年~1993年にかけてはデルタで6連覇を果たし常勝ともいえる活躍をしていました。

Lancia Delta

近年は経営悪化もあって活動を潜めていましたが、プントでJWRCに継続的に参戦し、2006年から本格的にシリーズ化されたS2000クラスにグランデ・プントで参戦してヨーロッパ選手権、イタリア選手権を制覇し、アバルトブランドを復活させました。
2007年からはIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)に参戦。2007年から2009年まで6勝するも、タイトルを獲得したプジョー、シュコダには届かず苦戦を強いられています。

グランデ・プントS2000アバルト

新聞部門

トリノ市の有力紙「ラ・スタンパ (La Stampa)」などの各種マスコミもフィアットグループに属しています。

『フィアット』の歴史

1899~1911

1900年に最初の工場がコルソ・ダンテで開業されました。
従業員150人が雇用され、まだバックギアも搭載されていない「フィアット 3 1/2 HP」など24台の自動車を生産しました。
1904年、ビスカレッティが手掛けた青背景に白文字で“FIAT”と記した楕円型のロゴマークが採用されました。

FIAT 3 1/2 HP - 1899

フィアットは当時、世界で最も有望なアメリカ市場への進出に向けて動き出しており、1908年に米国にフィアット自動車株式会社を設立しました。
会社は成長し、いくつかの関連会社も作られ生産台数も増加し、乗用車以外にも商用車や船のエンジン、トラック、路面電車の生産にも着手されました。

フィアットは、蓄電装置を備えた初の自動車や、フィアットが特許を持つカルダン・トランスミッションの開発など、次々と革新的な自動車を生み出してはその技術をレースに投入し、記録を残していきました。

1899年7月11日、ブリケラジオ宮殿で「Fabbrica Italiana Automobili Torino=FIAT(トリノ自動車製造会社)」の設立許可がおりました。
取締役の1人だったジョバンニ・アニエッリが投資家からその洞察力と決断力を高く買われ、1902年に社長に就任しました。

1912~1925

1916年、ジャコモ・マッテ・トゥルッコが設計したヨーロッパ最大規模を誇るリンゴット自動車工場の建設が始まりました。
5階建てで屋上に先進のテストコースまで備えるこの生産工場は、イタリア自動車産業の発展の象徴とされ、1922年に完成しました。

トリノ リンゴット工場

フィアットは自動車事業を拡大する一方、鉄鋼や鉄道、電気、公共交通分野にも事業範囲を広げていきました。
その中のひとつで油脂類を扱うフィアット・ルブリフィキャンティが設立され、その初の子会社がロシアで開業しました。
第一次世界大戦が勃発すると、生産活動のほぼ全てが軍用装備の供給に向けられたのです。

第一次世界大戦後、変革と危機が繰り返されましたが、1923年にはコスト削減策が功を奏して、成長軌道に戻ることができました。
ジョバンニ・アニエッリがCEOに就任し、多くのモデルを市場に投入する中で、フィアット初の4人乗り自動車となる「フィアット 509」なども開発されました。

Fiat 509 Spider 1925

当時、フィアットは高額だった自動車の価格を抑える唯一の方法として、大量生産の方針を掲げました。
消費が上向きになると、持株会社サーヴァを設立し、自動車の分割購入プログラムの促進を図ったのでした。

1926~1938

イタリア王国首相ムッソリーニの独裁体制の下で、フィアットは海外事業の縮小を迫られ、国内市場に専念させられました。一方、1930年代に入るとトラックと商用車が大きな技術発展を遂げ、航空・鉄道部門も発展しました。

1934年に「フィアット バリラ」、1936年に「フィアット トッポリーノ」と人気モデルを立て続けに生み出しました。「トポリーノ」は世界最小クラスの実用車で、1955年まで生産されるロングセラーモデルとなりました。

フィアット 500 トポリーノ

1937年、大規模なミラフィオリ工場の建設作業が始ま理ましたが、この工場はフィアットの大量生産計画を反映し、最先進技術がふんだんに取り入れられたものでした。

ミラフィオーリ工場

1939~1951

第二次世界大戦中に自動車の生産台数が大幅に減少する一方、商用車の生産は大きく成長しました。
「フィアット 500」や「フィアット 1400」といったニューモデルの商品化を通して、研究および技術革新を進めていく方針を明確に打ち出し、暖房やベンチレーション機能を大量生産に初めて取り入れました。
船と飛行機のエンジンに関する研究も続けられ、1951年にはイタリア最初のジェット機「フィアット G.80」が誕生しました。

1952~1964

1955年、車体後方にエンジンを搭載した大衆乗用車「フィアット 600」が誕生し、続いて1957年には「フィアット NUOVA 500」が発表されました。
1960年にはステーションワゴンの前身となるNUOVA 500のジャルディネッタ・バージョンの生産が開始され、さらに中型乗用車「フィアット 1800」や「フィアット 1300」「フィアット 1500」がこの時期に誕生しました。

フィアット・600

Fiat 1500

1965~1977

1967年のジュネーブ・モーターショーで、4人乗りクーペ「フィアット ディーノ」を発表されました。
1972年11月には、革新的な「フィアット X1/9」が発表されましたが、それには車体の中央にエンジンを横置きするミドシップレイアウトを採用されていました。

フィアット X1/9

1971年に「フィアット 850」の後継車となる新しい小型大衆車「フィアット 127」を発表。しました。

1978~1990

1979年に自動車部門が独立し、フィアット オート S.p.A.を設立しました。
フィアット、ランチア、アウトビアンキ、アバルト、フェラーリがこれに含まれ、フェラーリの持株比率は当初50%だったのが、その後87%に引き上げられました。
1984年にはアルファ ロメオも傘下に入り、1993年にはマセラティも加わりました。

1980年にジョルジェット・ジウジアーロのデザインによる新しい乗用車「フィアット パンダ」が登場し、さらに2年後には「ウーノ」が誕生しました。ウーノは電気系統、内装素材、低公害エンジン“1000ファイア”など多くの技術革新を遂げ、当時のフィアット オート S.p.A.を象徴するモデルとなりました。

Fiat Panda

1989年には人気モデル「フィアット ティーポ」が誕生しました。
共通のプラットフォームから複数の車型を生み出す独自の生産工程を取り入れた先進性などが評価され「ヨーロッパ カー・オブ・ザ・イヤー」を受賞した車種でした。

フィアット・TIPO(ティーポ)

1991~2003

1996年にジョバンニ・アニエッリCEOはフィアットグループの名誉会長となり、 代わってチェーザレ・ロミーティがCEOに就任しました。
1997年には世界戦略車の初代「フェアット パリオ」が登場しています。 

2004-2007

会社設立100周年を記念してロゴマークが新しくされました。

FIAT LOGO HISTORY

2007年には新型「ブラーボ」が誕生。
2007年7月4日には、「フィアット 500」の最初のモデルが発表されてからちょうど50年目に当たるということで「フィアット 500」の新型がトリノでデビューしました。
新型「500」は小型車で初めて自分好みのカスタマイズを実現し、50万種類以上から自分好みのバリエーションを選ぶ楽しみをユーザーに提供しました。

2008~2013

フィアットは“旧大陸”にとどまらず、2009年には米国市場に再進出し、2010年には中国で合弁会社GAC Fiatを設立しました
2012年には、世界レベルの生産水準を備えた中国湖南省の長沙市工場が建設されました。

『フィアット』の新車価格

ここでは、フィアットの代表的な最新車種の価格を見て行きたいと思います。

まずは500Xからです。

≪500X POP STAR≫
●全国メーカー希望小売価格:2,862,000円(税抜価格:2,650,000円)

500X POP STAR

希望小売価格:2,862,000円(税抜価格:2,650,000円)

≪500 LOUNGE≫
●全国メーカー希望小売価格:2,570,400円(税抜価格:2,380,000円)

500 LOUNGE

希望小売価格:2,570,400円(税抜価格:2,380,000円)

≪PANDA EASY≫
●全国メーカー希望小売価格:2,138,400円(税抜価格:1,980,000円)

PANDA EASY

希望小売価格:2,138,400円(税抜価格:1,980,000円)

『フィアット』の中古車価格

次に中古車になった場合の価格についてです。

≪フィアット 500X CITY 1.4 ≫
●本体価格:278.0万円(消費税価格込み)
●年式:2015(H27)
●走行距離:10km
●車検有無:国内未登録
●排気量:  1400cc
●エンジン種別:  ガソリン
●駆動方式:  2WD
●ミッション : フロア6MT

フィアット 500X CITY 1.4

本体価格:278.0万円(消費税価格込み)

≪フィアット 500 ツインエア ラウンジ≫
●本体価格:184.8万(消費税価格込)
●年式: 2014年
●走行: 0.9万Km
●排気: 900cc
●車検: 検29.3
●ミッション: AT5速

フィアット 500 ツインエア ラウンジ

本体価格:184.8万(消費税価格込)

≪フィアット フィアット パンダ イージー≫
●本体価格:195万円(消費税価格込)
●年式: 2015年
●走行: 0.4万Km
●排気: 900cc
●車検: 検30.9
●ミッション : インパネAT
●過給器: ターボチャージャー

フィアット フィアット パンダ イージー

本体価格:195万円(消費税価格込)

『フィアット』の新車・中古車価格のまとめ

ここまで、『フィアット』の新車や中古車価格を見てきましたが、性能に比べて価格が安価と考えられます。
やはり、フィアットの長い歴史の中で培われた数々の最新技術開発や大量生産による低価格化の努力が、見受けられますネ・・・・!

関連する記事

この記事に関する記事

この記事に関するキーワード

キーワードから記事を探す

TOPへ