究極のロードゴーイングスーパーカー、マクラーレンF1の秘密に迫る!
2015/11/16
syun_crowd
20世紀を代表とするスーパーカーは数多くあるが、マクラーレン・F1もその一台であることに異論はないだろう。当時の最新の技術を駆使しながらも、どこかクラシカルな雰囲気を醸し出していたこのマクラーレン・F1。一体どのような存在だったのだろうか。
このクルマを語る前に、まずマクラーレンの創設者であるブルース・マクラーレンの生い立ちについて知る必要がある。
1937年、ニュージーランドで生まれたブルースはレースデビューするないなや頭角を現し、1958年には早くもF1に参戦。ドイツGPにて5位入賞を果たす。翌1959年の最終戦、アメリカGPにて当時史上最年少優勝の記録を残した。
そして遂に1963年、ブルースはひとつの夢であったF1自前チームの母体である「ブルース・マクラーレン・モーターレーシング」を設立。1966年よりF1参戦を開始する。
新興F1チーム、マクラーレンの滑り出しは上々、次第にトップランカーの仲間入りを果たす。
しかし1970年、悲劇が襲う。当時アメリカで人気を誇っていたレース、Can-Amシリーズ参戦用のマシン「マクラーレン・M8D」のテストドライブ中にブルースが事故死してしまうのだ。
生前ブルースは、しきりにこう語っていたという。
「いつか自分の手で、マクラーレンの名を冠した世界に通用するロードゴーイング・マシンを作りたい」と。
1980年代から90年にかけて、世界のクルマ業界は自社のブランドイメージを向上させるため、スーパースポーツカーの開発に燃えていた。まずは1986年、ポルシェが4WDスーパースポーツ「959」を発表。翌1987年にはフェラーリが、自社の設立40周年を記念するマシンとして「F40」を発表した。また1991年には往年の名門ブガッティが復活、モンスターマシン「EB110」をリリースする。
そんな中誕生したのが「マクラーレン・F1」であった。1993年のことであったから、ブルースの死後実に23年を経て彼の夢は叶ったことになる。
このマクラーレン・F1を設計した男こそが「鬼才」とも言われる、ゴードン・マレーである。1946年、南アフリカに生まれたマレーは、若き頃よりレーシングカーのデザインにて非凡なる才能を発揮した。
ブラバムにて奇作「BT46B」を製作するなどを経て、1986年、マレーはマクラーレンに移籍。当時既にF1界きっての名門チームとなっていたマクラーレンでも、マレーはその才能を存分に発揮。名車「マクラーレン・ホンダMP4/4」は1988年のF1シーズンで、16戦15勝という大記録を打ち立てるのである。
そんな彼に与えられた次なる仕事、それがマクラーレン・F1の開発である。
マクラーレン・F1の開発にあたり、マクラーレンは5台の先行開発車両を造った。
これが俗にいう「XP(eXperimental Prototype)」である。この5台によって集められた膨大なデータが、後のマクラーレン・F1に反映されていった。
1993年12月25日、記念すべきマクラーレン・F1の1号車が遂にロールアウトされた。その後マクラーレンは1998年に製造を終了するまでに64台ものマクラーレン・F1を世に送り出した。
さてここではマクラーレン・F1が、一体どんなクルマであったのかを見ていこう。
まずスタイリングだが、当時のレースの人気カテゴリーであった「グループCカー」のような形状をしている。ちなみにこのデザインは、のちにスバル初のWRカー「Impreza WRC97」などの設計も行ったピーター・スティーブンスの手によるものである。
またバタフライドアを備え、インテリアは特徴的な1+2のシートレイアウトとなっている。ここに当時マクラーレンと密接な関係にあったケンウッド(現 JVCケンウッド)製のマクラーレン・F1専用設計のオーディオシステムがインストールされている。
F1マシン譲りのカーボンコンポジット素材を使用したモノコックを接着剤で組み合わせるという、当時としてはかなり斬新な手法で組み合わされたボディに搭載されるエンジンは、BMWモータースポーツGmbh製V型12気筒だった。
当初これはBMWのスポーツクーペ「M8」に搭載される予定のものであったが、開発が頓挫したためマクラーレンの手に渡ってきたのである。マクラーレン・F1に搭載された時のスペックは、最高出力636PS、最大トルク66.40kg・m/5,600rpmであった。
こうして生まれたマクラーレン・F1は、当初ロードカーのみの設定であった。しかし市場の要望からレーシングマシンも製作された。これが「マクラーレン・F1・GTR」である。
1995年にはル・マン24時間レースに出場。初参戦ながら、優勝する快挙を成し遂げた。
そんなマクラーレン・F1・GTRは日本のGTレースでも活躍した。1996年、チーム郷よりエントリーしたマクラーレンF1・GTRは、その年のシーズンを席巻。見事シリーズチャンピオンに輝く。
その後、性能調整が行われるなどして次第に実力が発揮できる場が少なくなっていったが、2005年まで日本のGTレースに参戦し続けた。
当時最新の技術を駆使して生まれたマクラーレン・F1。しかしトラクションコントロールやABSといった電子デバイスは、一切用いられていない。そんなところが、どこかクラシカルな雰囲気を醸しだしているのかもしれない。
若き日のブルースの夢は、今も世界中のクルマ好きの憧れの存在として輝きを放っているのである。
この記事に関する記事
キーワードから記事を探す
Copyright© 運営事務局