2016/06/21
里ちゅーん
マイバッハは、ドイツで創業したエンジン製造会社で、高級車メーカーとしても活動した時期を経て、1966年にはダイムラー・ベンツの傘下となり、2002年には高級車ブランドおよび商品名として復活しています。そんな歴史あるベンツのマイバッハのまとめです。
ベンツのマイバッハについて簡単に紹介します。
ベンツマイバッハ
ベンツのマイバッハは、1909年にドイツで創業したエンジン製造会社です。
高級車メーカーとしても活動した時期を経て、1966年にはダイムラー・ベンツの傘下となり、1969年にベンツのマイバッハはMotoren und Turbinen Unionと改名されました。2002年にはダイムラー・クライスラー(当時。現ダイムラー)における高級車ブランドおよび商品名として復活しています。
それではベンツマイバッハの歴史について紹介します。
ベンツマイバッハ
ゴットリープ・ダイムラーと共にエンジン研究を行っていたヴィルヘルム・マイバッハが 1909年に息子であるカール・マイバッハと設立したのが始まりです。
ヴィルヘルムは当時のダイムラー社の主任技師として、1901年に発売されたメルセデス第1号車を設計。1909年にダイムラー社を去り、ツェッペリン伯爵のために会社を設立(Maybach-Motorenbau GmbH)しました。飛行船ツェッペリン号に搭載されたV型12気筒エンジンを製作していたのはマイバッハであり、これにより世にその名を知らしめることとなりました。
1920年代から1930年代にかけてマイバッハ社は高級車を設計・販売していました。その位置づけは極めて高く、代表的な車種であるマイバッハ・ツェッペリンの価格は36000RM(約450万円)で、当時のドイツの最高級車であるグローサー・メルセデス770(41000RM)に次ぐものでした。
第一次世界大戦後は自動車や鉄道車両用のエンジンを製作しました。1935年以降第二次世界大戦終結までドイツ軍戦車のガソリンエンジンは、ほぼマイバッハが独占していました。
1952年のカール・マイバッハ引退を期にダイムラー・ベンツが 50%の株式を所有するようになり、後に傘下に納められました。その後身であるMTUは鉄道車両、船舶、軍用車両、産業用などに向けたディーゼルエンジンの製造を行っています。
国鉄DD91形、DD54形ディーゼル機関車にエンジンが使用されていました。
ベンツマイバッハ
ベンツマイバッハ
1997年、ダイムラー・ベンツ(当時)は東京モーターショーに「メルセデス・ベンツ・マイバッハ」という名称のSクラスをベースとしたコンセプトカーを出展し、「マイバッハ」を復活させることを決定しました。
ベンツマイバッハから2002年に、新設された「マイバッハ」ブランドから、ショートホイールベースの「57」とロングホイールベースの「62」が登場。57、62のモデル名は後述のようにそれぞれ車体全長を表しており、57の全長は5,723mm、62のそれは6,165mmです。
これらのモデルには、同社が考える最高の技術と厳選した素材が使用されており、車体剛性の高さと、それによる安定性やNVH性能は、ベースとなった「メルセデス・ベンツ・マイバッハ」のSクラスをはるかに上回ります。装備や仕様はオーダーメイドであり、内装の化粧板をウッドから大理石にすることも可能で、市販車としては最も高額な乗用車のひとつでした。
搭載されるM285型エンジン(M = モートル)はSOHCの水冷V型12気筒で、各バンクにターボチャージャーとインタークーラーを装備するツインターボです。5513ccの排気量から、550ps(405kW )/5250rpmの最高出力と、2300-3000rpmの範囲で91.8kgm(900Nm )の最大トルクを発揮します。
ベンツマイバッハ
東京モーターショーでの初公開車両でもみられるとおり、当初は「メルセデス・ベンツ・マイバッハ」という名称を用い、メルセデス・ベンツ・ブランドの最上位車種とする予定でした。
公開されたコンセプトカーにも、メルセデス・ベンツの「スリーポインテッドスター」が装着されていました。しかし当時の経営陣は「Sクラスこそが最高のメルセデスである」というマーケティング上の戦略を優先し、「マイバッハ」を独立したブランドとして復活させることに決定しました。
世界的知名度のないマイバッハではなく、メルセデス・ベンツのネームバリューを活用して展開すべき」と主張したのは、現ダイムラーAG代表のディーター・ツェッチェでした。
ヴィルヘルム・マイバッハは、ゴットリープ・ダイムラーと共に世界初の4輪ガソリン自動車を発明した人物で、ダイムラー、カール・ベンツと並び、ガソリン自動車の発明者の一人に数えられます。その存在がなければ後のダイムラー・ベンツ、今日のダイムラーはなかったとも言われるほどの技師でした。
ベンツマイバッハ
初代・新マイバッハのモデル名である「62」や「57」という2桁の数字は、これら車種の想定顧客である富裕層になじみのあるヨット(本来の帆装ヨットのほか、日本で「プレジャーボート」と呼ばれる船艇も含む)などと同様、その全長を示したものです。
ベンツマイバッハ
ベンツマイバッハ
2012年に宣言通り生産が終了されたベンツマイバッハだったが、2014年にロサンゼルスで開催のモーターショーにて、メルセデスのサブブランド「メルセデス・マイバッハ」として復活しました。
Sクラス(W222・ロングホイールベース車)の後席部分を約200mm延長したモデルであり、車体前後のデザインは変えておらず、事実上メルセデス・ベンツSクラスの姉妹車です。
ベンツマイバッハは翌2015年のジュネーブ・ショーでは、更にホイールベースを1,053mm、全高も約100mm伸ばし、対面式後席を持つ「メルセデス・マイバッハ・プルマン」が発表しました。
ベンツマイバッハ
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