ドライバー憧れの的!ランボルギーニの新型車について知っておこう!
2016/11/21
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バイオレットはサファリラリーを筆頭に数々のレースで優勝した、日産のWRC参戦の主力車です。バイオレットはサニーとブルーバードUの中間クラスとして初代の新型が誕生しました。初代から3代目までの新型誕生の歴史を調査してみました。
初代新型バイオレット2ドアハードトップ 710型
“3次曲面”という複雑な曲線が入り混じるデザインが採用されました。
初代新型バイオレット4ドアセダン(前期型)
普及型であるセダンにもフルファストバックを採用したため、有名な自動車評論家から酷評を受けたりもしました。
初代新型バイオレット4ドアセダン(後期型)
セダンなのにクーペ状のようなリアデザインは、後方の視界が悪いため、セダンに乗りなれた人には不人気でした。そのため、トランクに段を付けたマイナーチェンジがなされました。
イメージキャラクターは「藤岡 弘」
初代の新型バイオレット(710型)は1973年1月に発売され、下級車種のサニーと、ブルーバードU(610型)の中間クラスを担うとされましたが、実際は、ブルーバードの実質的な後継車種として位置付けていました。
初代新型バイオレット(710型)のボディタイプは4ドアセダン、2ドアセダン、2ドアハードトップの3種類でしたが、複雑な曲面で構成されたファストバックスタイルは不評(特にタクシー業界)で販売が低迷したため、後期型の4ドアセダンでは、ノッチバックスタイルへ変更されました。この後、5ドアのライトバンがラインナップされました。
・1973年1月 - 710型バイオレット登場。
・1974年9月 - セダンのリヤコンビネーションランプ変更。
・1975年
・ 9月 - 1600SSS-Eが昭和50年排出ガス規制適合(A-P710型)。
・10月 - 残りの全車種が昭和50年排出ガス規制適合。
・1976年2月 - マイナーチェンジ。タクシーユーザーから要望の多かった後方視界を向上する
ため4ドアセダンがノッチバックスタイルに変更、型式も711型になった。1,600ccが51年排
ガス規制に適合。2ドアセダンは廃止。
・5月 - 1,400ccが51年規制に適合
・1977年4月 - 生産終了。A10型にバトンタッチ。
2代目新型バイオレット(A10型)3ドア ハッチバッククーペ
このハッチバッククーペは、セリカリフトバックの成功を意識したものとも言われています。
2代目新型バイオレット(A10型)3ドア ハッチバッククーペ インパネ
エンジンはハイパワーのL16Eでしたが、ファミリー向けのGL中心でタコメーターはなく、ミッションもATと4速MTのみの設定でした。
2代目新型バイオレット(A10型)4ドア セダン
2代目の新型バイオレットは、ブルーバードの流れから独立し、A10型として1977年に誕生しました。2代目新型バイオレットのボディタイプは、4ドアセダン・3ドアハッチバッククーペ(オープンバック)・5ドアハッチバックセダン・5ドアライトバン・5ドアステーションワゴン(注)・2ドアセダン(注)の6タイプ(注は日本市場では販売されていません)がありました。初代の新型バイオレットはセダンタイプもリアがクーペ的なデザインでしたが、2代目の新型バイオレットではボクシー的なスタイルとなりました。
・1977年5月 - モデルチェンジでB-A10/PA10型が登場。
・1978年5月 - 昭和53年排出ガス規制適合でE-A11/PA11型へ移行。
・ 9月 - スポーティ仕様の「1600GX/GX-EL」を追加。
・1979年6月 - マイナーチェンジによりヘッドライトが丸型4灯から角型4灯に変更。
・1981年6月 - FFのバイオレットリベルタへフルモデルチェンジ。
3代目新型バイオレットリベルタ
日産のミドルクラスFF車として1981年に姉妹車となるのオースターJX、スタンザFXと共に大々的に登場しましたが、このバイオレットリベルタだけが1年後の1982年に消滅しました。
3代目新型バイオレットリベルタコックピット
3代目新型バイオレットリベルタは、1800の一部にしかタコメータが装備されていませんでした。燃料計下は汎用品を後付したものです。
3「代目の新型バイオレットは「リベルタ」のサブネームが加えられ、前輪駆動となり1981年に誕生しました。ボディタイプは4ドアセダンと5ドアハッチバックの2種類でボディ一体化のウレタンバンパーを採用しました。
・1981年6月 - バイオレットリベルタ発売。4ドアセダンと5ドアハッチバックセダン
のラインナップだった。先代モデルにあった3ドアハッチバックク
ーペのオープンバックは消滅。
・1982年6月 - バイオレットリベルタはわずか1年で販売終了する。その後継とし
て、日産店の取扱車種として1クラス下のN12型パルサーセダ
ンベースのリベルタビラを新たに投入する。バイオレットリベル
タの実質的な後継車であることを示す「リベルタ」の名前が使わ
れている。
1979年サファリラリーで優勝したバイオレット(2代目A10型)
サファリラリーで4連覇という偉業を達成しておきながら、それに見合うスポーツグレードを出したり、この偉業を宣伝に使用しなかったりと、当時の日産が販売に力を入れていませんでした。
1981~82年のサファリラリーで優勝したバイオレット
1979年から1982年にかけて、同一ドライバー・同一マシンでのサファリラリー4連覇という輝かしい栄冠を獲得し、「PA10」という呼び名で親しまれたラリー車が2代目新型バイオレット4ドアセダンです。バイオレットのサファリラリーを含む、輝かしいレース成績は以下のとおりです。
【初代新型バイオレット710型】
・1974年:マレーシアの「スランゴール・グランプリ」で「バイオレットターボ」が総合優勝
・1977年:第12回サザンクロスラリーで2ドアハードトップが総合優勝
【2代目新型バイオレットA10型】
・1979年:第27回サファリラリーにて総合優勝
富士300キロスピードレース 10位
富士グラン250キロレース 7位
富士インター200マイルレース 7位
富士マスターズ250キロレース 優勝
・1980年:第28回サファリラリーにて総合優勝
富士300キロスピードレース GTⅡクラス 優勝
富士インター200マイルレース GTⅡクラス 優勝
富士マスターズ250キロレース GTⅡクラス 優勝
・1981年:第29回サファリラリーにて総合優勝
・1982年:第30回サファリラリーにて総合優勝
1974年新型バイオレットのCM
CMソングはヒデ夕樹さん。日立の「この~木なんの木・・・」を歌っている方です。
初代・2代目の新型バイオレットのイメージキャラクターは、”本郷猛”
ハッチバックからノッチバックに「変身!!」あの本郷猛、仮面ライダー1号の藤岡弘、氏を起用して男臭さとクリーンな視界をアピール!!
初代、2代目の新型バイオレットはCMキャラクターに俳優の藤岡弘さんが起用されました。藤岡さんは、刑事ドラマ『特捜最前線』のイメージもあり、日産は提供スポンサーとして、車両協力もしていました。また
タクシー仕様のバイオレット
Cピラーの角度が寝かされていたため、お客さんの乗降の妨げになったり、ファストバックスタイルのため後方視界が悪かったりと、タクシー業界でのバイオレットの評判は、かつて無いほどの不評でした。このため、コロナを選ぶタクシー事業者が多くなりました。
昭和50年ニッサン バイオレット タクシーカタログ
タクシー仕様のバイオレットは、1977年4月頃まで生産、販売が継続されました。
初代新型(710型)バイオレットの4ドアセダンはタクシー仕様が設定されていました。(5人乗り・3速コラム・前席ベンチシート、L16型1,600ccLPG)。後にエンジンは、昭和50・51年排ガス規制に絡んでL18型1,800ccLPGに変更されました。なお、当時の沖縄向けに左ハンドルのタクシー仕様車もごくわずかですが生産されて、1977年に生産・販売が終了しました。
2代目新型バイオレット(A10型)のスポーツバージョン『バイオレット・オースター』
この時代ではよくあった双子車、例えばカローラ/スプリンターやセドリック/グロリアなど、同じクルマなのに違うクルマとして販売されましたが、オースターは、あくまでバイオレットのスポーツバージョンという位置付けだったようです。
バイオレットをSSS風にスポーティな内装などを施した、バイオレット・オースターは廉価版とスポーツグレード(とそれの豪華版)のみのラインアップで販売されました。
バイオレットはブルーバード系列、オースターはチェリー系列の販売店で販売されていたために、SSS風であってもバイオレット・オースターにはSSSの名前はつけられませんでした。
バイオレットの高級版『スタンザ』
スタンザは、“小さな高級車”=小さいサイズで安価に高級車の雰囲気があじわうことができました。上級車モデルを模写したクルマの元祖的存在!
「スタンザ=ミニ・セドリック”」といっても過言ではありません。
フロントマスクを当時のセドリック風とし内装もこれに準じる形でこのクラスでは実に贅沢なものとなっていました。
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