2015/11/17
takeitokiyoto
現在、日産の社長であるカルロス・ゴーン氏ですが、日産を買収した外国人といイメージがあります。しかし彼のこれまでの生い立ちや経歴を知っている人はあまりいないのではないでしょうか?そこで日産の社長について詳しく調査。そこから興味深い事実がわかりました
日産の社長 カルロス・ゴーン氏
1999年から日産の社長として就任したカルロス・ゴーン氏は、日産の経営を再建し、見事立て直した優秀な社長です。
カルロス・ゴーン(Carlos Ghosn、1954年3月9日 - )は、フランスの自動車会社ルノーの取締役会長兼CEO(PDG)にして、日産自動車の社長兼最高経営責任者(CEO)。またルノーと日産は、2010以降全世界自動車市場の約10%のシェアを保っているが [1][2]、ゴーンは両社の株式の相互保有を含む戦略的パートナーシップを統括する「ルノー・日産アライアンス」の社長兼最高経営責任者(CEO)をも兼務する。
今の日産の社長を簡潔に説明するとこんな感じ。
いかにも仕事ができて、冷酷な経営者なのかなと思えます。
日本にはじめてカルロス・ゴーン氏が来た時はバッシングされた時もありました。
しかし日産の社長は、よく調べてみると非常に情熱的な人物であることがわかります。
それでは日産の社長の生い立ちを調べてみましょう。
両親はレバノン人で、ブラジルで誕生。幼少期をブラジルで過ごし、中等教育は父の母国であるレバノンのベイルートで受けた。フランスの工学系グランゼコールの一つであるパリ国立高等鉱業学校を卒業した後、フランス大手タイヤメーカー、ミシュランに入社し18年間在籍。同社での業績を評価され、ルノーに上席副社長としてスカウトされ、同社の再建にも貢献した。
日産の社長は両親がレバノン人で、子供の頃はブラジルで過ごしています。
幼少期をブラジルで過ごした日産の社長
若い時から車が好きだった日産の社長
日産の社長であるカルロス・ゴーン氏は、我々と同じように車が好きだった一青年でした。そのときの愛車が日産のスポーツカーだったという話もあります。
日産の社長は子供の頃、クラクションの音を聞くだけで、その車が何の車種なのかを言い当てたという逸話もあります。
大学卒業後はブラジルミシュランに就職した日産の社長
若いうちから工場長に就任し、またたく間に昇進していきわずか6年後、ブラジルミシュランの社長になります。
1985年、30歳になったゴーン氏は、故郷であるブラジルのブラジル・ミシュラン社長に大抜擢されました。しかし当時のブラジルはインフレ率が1000%を超え、ブラジル・ミシュランも膨大な赤字を出し、まさに閉鎖寸前だったのです。しかしゴーン氏は、たった1年で黒字に転換、3年後には100社以上にも上るグループ会社の中で最も売り上げ利益を上げている子会社として再生。
その手腕を買われて
日産の社長はさらに北米のミシュランの経営再建にも活躍しました。
すでにこのころから経営者としての実績を積んでいたのです。
日産の社長、42歳でルノーに移籍
ミシュランでの手腕を買われ、ルノーにヘッドハンティングされました。
当時、ルノーは、アメリカ進出とボルボとの提携というふたつの国際的戦略に失敗し、グローバル化に出遅れたヨーロッパの落ちこぼれメーカーでした。しかし、子供の頃から車好きだったゴーンにとって、自動車メーカーは憧れの存在だったため、ふたつ返事でルノーのオファーを快諾。
子供の頃から自動車好きだったカルロス・ゴーン氏にとって、ルノーへの移籍は夢を実現した瞬間でした。
そのルノーで、ゴーン氏は社運を賭けた極秘プロジェクトを任せられる事になりました。そのプロジェクトとは『日産との資本提携』。幾多の失敗を繰り返し、もう後がないとまで言われたルノーにとって日産との提携は、国際競争に生き残る生命線だと考えられていました。しかし、その当時の日産も実はルノー同様瀕死の状態にあったのです。
ここからカルロス・ゴーン氏が日産の社長になるはじまりとなったのです。
日産とルノーが合併
ルノーと日産が合併するビッグプロジェクトは、すでにこのころから計画されていたのです。
フェアレディZ復活!GT-Rはプレミアムカーへ
カルロス・ゴーン氏は長い間休止状態だったフェアレディZを復活させました。そしてGT-Rをプレミアムスポーツカーへと昇華させたのです。
若いころ大切にしていた日産の名車たちを、
カルロス・ゴーン氏は自らの手で復活させたのです。
経営陣のトップであるが自らハンドルを握って運転する事を好む。この事は彼が立場を越えてルノーや日産自動車の車種に限定されず、自動車の運転に好意的な事を示した過去の報道からも明らかである。この事は、ゴーン体制下の日産自動車が、2002年の排ガス規制で生産終了が決定していたスカイラインGT-Rの後継車種である日産・GT-Rや、フェアレディZを復活させた大きな要因である(両車ともゴーン自らゴーサインを出し、自ら発表している)。
その一方で消滅した名車
セドリックやグロリアなど、日産の歴史的な名車たちが生産効率向上のため消滅しました。
しかしながら、日産自動車のセドリック/グロリア、サニーといった伝統的な車名を次々に廃止したことに対しては、ゴーン自身は車名が体現する伝統の大事さを訴え、販売部署が望んだブランド名変更に最後まで反対だったという
カルロス・ゴーン氏は歴史的名車の消滅は、最後まで反対の立場だったのです。
日産の社長 カルロス・ゴーン氏
カルロス・ゴーン氏は短期間の間に、
ルノーと日産、2つの会社を立て直してきた経営のカリスマです。
しかしその原動力は「車が好きだから」という単純な理由かもしれません。
感情に左右されず冷酷に決断していく経営者と思いきや、
実は好きなことに没頭し、好きなことで生きていく人物でした。
今の若者の憧れるような行き方を、すでに実践していたのです。
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