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ポルシェ・ティーガー。ポルシェが開発した戦車です。しかもPHV車!

ポルシェ・ティーガーをご存知でしょうか?あのポルシェがヒトラーの命で開発されたのがティーガー戦車です。ヒトラーの誕生日にテストされ不採用になった戦車です。でも改良後1000両以上が生産され、それでも生産が足りないという事態までになった戦車です。調べました。

『ポルシェ』って・・・・?

皆さんご存知のとおり、『ポルシェ』とはドイツの自動車メーカーのことです。
本社はドイツ南西部のシュトゥットガルト。高級スポーツカーとレーシングカーを専門に開発・製造していて、中でも1963年に発売されたスポーツカー「911」は改良・改名を重ねながら今でも製造・販売されています。

ポルシェ 911

『ポルシェ』は、1930年頃にフォルクスワーゲン・タイプ1を設計した技術者であるフェルディナント・ポルシェにより、当初はデザイン事務所として設立されました。

『ポルシェ・ティーガー』って・・・・?

『ポルシェ・ティーガー』とは、正式名称を「VI号戦車ティーガー (P)(VK4501 (P))」といい、第二次世界大戦中のドイツで開発された戦車のことです。

設計をフェルディナント・ポルシェが手掛けたことから、俗にポルシェティーガー(Porsche Tiger)とも呼ばれてもいます。

Ⅵ号戦車ティーガーⅠ

1941年5月26日、ヒトラーの山荘での会議にて、強力な戦車を配備する必要が指摘されたのです。
この戦車の試作はポルシェ社とヘンシェル社の競作になり、1942年4月20日のヒトラーの誕生日に、ラステンブルクにおいてヒトラーの前で比較されました。

ポルシェ案のVK4501(P)は、故障の多かった変速機を省略するため、エンジンで発電機を廻してモーターを駆動する電気駆動方式を採用し、サスペンションも外部にトーションバーを配置する簡易な設計でした。

ヒトラーはこれに関心を示しましたが、モーターには戦時中で不足していた銅を大量に必要とすることもあって、堅実なヘンシェル案が採用されました。

結局、ヘンシェル社の車輛がVI号戦車ティーガーI として量産が開始されましたが、既にポルシェ案の車体も90輌先行生産されており、これを流用してフェルディナントまたはエレファントとして知られることになる重駆逐戦車が製造されました。

『ポルシェ・ティーガー』の構造

『ポルシェ・ティーガー』は車体と砲塔から構成されています。
車体はIV号戦車の守旧的な構造を引き継ぎ、T-34のような傾斜装甲や曲面化された装甲形状を持っておらず、運転手席と無線手席の前面はほぼ垂直に立っており、車体・砲塔の前側面も垂直構成です。
ただし単純な四角の箱型でなく、角に当たる部分は装甲板が面取りのようになっており、全体的には八角になっていて、砲塔も筒状でした。
この戦車の砲塔は車両半分より少し前に配されており、砲塔の形状もヘンシェル社製のものと異なり、操砲時の俯角をとるため、中央部分に突起したクリアランスが設けられていました。

また、ヘンシェル社製のものと比べると、モーターを搭載するぶん全長が約1メートル長く、全幅と全高は少しずつ低い構造となりました。
出力ロスの多いモーター駆動のために、最高速度も3km/hほど低かったようです。

電気駆動を採用した結果、機関室が大型化し、また空冷ガソリンエンジンの出力は不足していました。
この巨体を動かすには相当大きな電力が必要であったのですが、平地の走行実験では電力を供給するコードが焼け、エンジンから煙が出るなどの結果となったそうです。

このように、あまり評判の良い『ポルシェ・ティーガー』でありましたが、既に生産されていた車体を流用したエレファント重駆逐戦車を運用した部隊からは、ギアチェンジが無用である操縦性の評価は悪くなく、また変速機に関するトラブルが少なくなったと報告しており、大戦中のドイツ戦車でよく問題となった変速機のトラブルが解消ないし軽減する点ではポルシェ博士の方向性が間違っているとは言い切れないこととなっていたようです。

『ポルシェ・ティーガー』は、実質的に試作のまま大急ぎで実戦に投入されたため、生産期間中にわたって大小の改良が続けられました。

『ポルシェ・ティーガー』の生産は1942年8月に始まり 、1944年8月の生産終了までに1,355輌が生産されました。
当初月産25輌の生産ペースは、1944年4月には月産104輌まで増加していったのでした。

一方運用に関しては、『ポルシェ・ティーガーI』は、主要な敵戦車であるT-34、M4中戦車、チャーチル歩兵戦車を1,600メートル以上の遠方から撃破できました。

対照的に、T-34は装備した76.2mm砲で『ポルシェ・ティーガーI』の前面装甲を零距離でも貫けませんでしたし、M4シャーマンの75mm砲は『ポルシェ・ティーガーI』の正面装甲を零距離射撃でも貫けず、側面装甲も300メートル以内でないと貫けなかったといいます。

ただし『ポルシェ・ティーガーI』の側面装甲は、BR-350P APCR弾を使用すればおよそ500メートル以内で貫かれたし、T-34-85中戦車の85mm砲はティーガーI の側面を500メートルで、IS-2の122mm砲は、ティーガーをあらゆる方向から1,000メートルで撃破することができたそうです。

しかし熟練した搭乗員は『ポルシェ・ティーガーI』 の装甲を増加させたり、敵戦車に対して車体を斜に構えることにより、傾斜装甲と同じはたらきをつけて戦ったということです。

RAC戦車博物館の『ポルシェ・ティーガー』

ロンドンから南西の郊外に、ボービントン戦車博物館もしくはRAC戦車博物館と呼ばれるタンクミュージアム(Tank Museum)があります。
ここに現存する『ポルシェ・ティーガー』が収納されているそうです。

この博物館の展示に関する特徴は、仕様や性能、生産台数の他に、「A型が3両、B型が3両、B型ベースの指揮戦車が1両・・」と、現存数を細かく解説しているところにあるようです。

それによると、約650両が生産されたⅡ号戦車も現存するのは8両のみで、Ⅲ号戦車は5300両も生産されたのに、現存数はわずか15両。
8500両が生産されたドイツ軍の主力、Ⅳ号戦車の現存数はD型2両、G型3両、H型10両、J型12両ということです。

『ポルシェ・ティーガー』Ⅳ号戦車

『ポルシェ・ティーガー』の登場作品

最後に、小説やゲームに登場した『ポルシェ・ティーガー』をご紹介します。

≪宮崎駿の雑想ノート≫
漫画家・アニメ監督の宮崎駿による、イラストエッセイ及びマンガです。後にラジオドラマ化もされています。
単行本制作時に書き下ろされた「豚の虎」において『ポルシェ・ティーガー』を装備した架空の実験小隊の東部戦線での悪戦苦闘が描かれています。作品制作当時は実戦投入をされていなかった、というのが定説であり、設定はクルスクの戦い直後とされています。

≪ガールズ&パンツァー≫
2012年10月から同年12月までと2013年3月に放送されたテレビアニメで、全12話+総集編2話。題名にある「パンツァー」はドイツ語「Panzer Kampf Wagen」(装甲戦闘車輌)の略語で、元々は「甲冑」「装甲」を意味する単語でしたが、現代ではこれ一語でも「戦車」と言う意味で通用します。
第10話からレオポンさんチーム(自動車部チーム)搭乗車輌として『ポルシェ・ティーガー』が登場します。

≪立喰師列伝≫
押井守による小説作品。
この中で『ポルシェ・ティーガー』は映画版に登場します。

≪World of Tanks≫
戦車戦を扱った多人数参加型オンラインゲームで、ベラルーシのWargaming.net社が開発し2011年からプレイ可能となりました。主に1920年代から1960年代前後に開発・設計および構想された戦車が登場し、戦車を使用したプレイヤー対プレイヤーの戦闘が中心となるゲームです。

≪War Thunder≫
第二次世界大戦前後の航空機・戦車を題材にしたMMOコンバットゲームです。
ドイツ陸軍プレミアム車輌、指揮戦車であるPz.Bfw.IV(P)が登場します。

以上『ポルシェ・ティーガー』について調べてきましたが、いかがだったでしょう。
戦争の道具であり、しかも不採用から始まった兵器なのに、どこか皆から愛されるところがあって可愛がられているという、不思議な戦車でした。

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